水戸黄門の最期

最近モバMANのお侍ランドの新作更新ネタばっかりです。
今回の2本は水戸光圀VS真うっかり男です。
もちろん適当なでっちあげネタであることは先にお断りしておきます。
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ところで水戸黄門のテレビシリーズが終了というニュースはもう皆さん周知の事でしょうが
だいたいの反応は、「でしょうね」「これも時代のながれ」的なもので私も当然創思いますわ。

よく聞かれるのが昨今のは画面がクリア過ぎて時代劇にそぐわない、という声ですが
今頃?もっと前に言ってくれよ、と。
だいたい80年代後半あたりからフィルム作品でもVTR編集されたものが出始め
音声も綺麗なものがほとんどになりました。(これは時代劇に限りませんが)
とにかくあれはダメだと言ってもほとんどの人の理解を得られませんでした。
「まあしょうがねえか?」とあきらめてましたが
結果的は前述のような声が聞こえるに至り
「あんたらはここまでクリアにしなければ気がつかんかったのか」と、
まあまあ、たかがテレビ時代劇ですよと今の私は冷静に思えますが。

内容に関しても80年代頃からマンネリだからいいという傾向が蔓延して
居直り的な製作姿勢、若い私はそんな水戸黄門が許せませんでした。
それで視聴率も安定し、必殺シリーズもそれにならったような製作スタイルになり
一方意欲的に映画的な作品を制作していた勝プロ作品がテレビから消えてしまいました。
だから黄門に限らずある時期以降のテレビ時代劇などどうでもいいんです。

石坂浩二主演の黄門がいつもパターンが無いと不評で終了。
里見浩太郎が「本当の黄門をお見せしましょう」(笑)と始めるわけですが
さすがにもういいでしょ。
パターン以外の自由が無いんだったら再放送やってりゃいいんですもん。

まあ黄門に限らずテレビでルーティンでやってくにはある程度パターンは必要ですし
多分製作側もこれさえやれば楽に作れるというパターンは
何本か撮れば見えてくるんじゃないでしょうか?
でもそれじゃ面白くないといろいろアイデア、工夫を盛り込んでいくのであって
そういった努力をしてた時より延々同じ事を繰り返すだけの方が数字がいいという結論に至り
結局80年代以前という時代はずーっと無駄な努力をいていた事になります。

そして私はそんな無駄な努力が大好きです。

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